いつかこの世界のどこかで医学物理学研究を.....

医学物理学(生物物理学含む)に憧れて早20年超。何故か勉強が進まず苦悶する日々。いつか医学物理士の資格を取得して医学物理学研究に参加するという夢に辿り着くまでの日々を綴る。

まともな人生とは....

 最近、周囲を見渡してみると同世代の疲労感が感じられる。特に、成功した会社員達の疲労感が。ところで某動画サイトで子猫の(もう1歳以上だから成猫とでも言うのか?)動画にはまってる。半分中毒になるくらい頻繁に猫動画を視ている。動画で食っている人達がこの世には存在する。このコロナ禍で大きく世の中全体の価値観が変革したような気がする。自分はコロナ発生の前から起業するつもりだったが、いよいよ起業は現実になりそうだ。

私立文系の大学を卒業すると、会社員以外には公務員ぐらいしか選択肢がなかった自分たちの世代。公務員も色々だが、いずれにしろ残酷なほど私立文系→会社員/公務員という図式は成り立ってしまっていた。一方、理系の大学を卒業すると就職の選択は広がる。特に理系の専門知識プラス英語力があると就職に有利だ。

自分が学生の頃は日本国内の薬学部は全部4年制で、学部3年生になると専門科目の内半分は薬剤師国家試験の受験の為の科目だった。そこに不満を感じて自分は中退したのだが、薬学研究者に薬剤師免許は必要なのか?という疑問がある。薬剤師免許は研究で食えなくなった時の保険のような物である。研究が嫌になったら薬剤師をやればいいや、という意気込みで研究者になれるのだろうか?逆ではないか、研究は文字通り、研ぎ澄まし、きわめる、つきつめるのである。研究者でない自分が偉そうに書いてしまったが、4年制の薬学部を卒業して大学院にも合格できず、薬剤師国家試験にも合格できなかったら、悲惨である。

何がいいか分からない、と自分の親は子供達の世代である自分たちを見てそうつぶやいた。確かに、会社員として成功するだけが人生ではない。会社員として成功しているかのように見える同級生達はあまり勉強が出来る方ではなかった部類の人種である。

これには2つの意味がある。学校の勉強と社会人として働くのでは決定的に違うことがある。それは、受験勉強と学校のテストには正解があるが、世の中の諸問題には正解がない、ということ。もう一つは、他者から労働力として使用される事をどれだけ受け入れられるか、ということである。結果として、これらのバランスを自分の中で納得のいく割合で取っていくしかないのである。

ひとつだけ確かに言えることがある。それは10代後半から20代くらいで自分の方向性ややりたいことが定まらずに30代を通り越して40代に突入してしまうと、少なくともハッピーにはなれない。だから若い内に必死に自分のやりたいことを探して見つけなければならないのだ。

現在を、この瞬間を楽しむためには、若い時分にそれなりの苦労と準備やトレーニングが必要なのである。