いつかこの世界のどこかで医学物理学研究を.....

医学物理学(生物物理学含む)に憧れて早20年超。何故か勉強が進まず苦悶する日々。いつか医学物理士の資格を取得して医学物理学研究に参加するという夢に辿り着くまでの日々を綴る。

今年の認定試験について

現在の所、まだ日本医学物理学会に入会していない。それは今年もまた医学物理士の認定試験を受験しないことを高い確率で意味する。大卒の自分には、医学物理士資格を得なければこの世界、つまり放射線医学研究に参加する可能性が低くなる。大学院には様々な理由から進学を断念してしまったのである。研究補助としてやっていけるのはせいぜい30代までである。40代になって博士号を持たない人間は、例外はあるにしても基本、研究の現場に居られなくなる。少なくとも自分の場合はそうだった。

日本の医学物理士は例えば豪州に比べて放射線技師がレベルアップした技術者というか、研究者としての影が希薄であるような感じを受ける。大学の学部で、既に放射線科学(放射線技術学?)を学んできているが、数学や物理学や工学の専門家ではないケースが多いのではないか(スミマセン、知ったかぶりかも知れません)?

研究者してサバイブするのは大変なことである。日本に於いても、世界中おそらく何処ででも。そこまでして研究者になる価値はあるのだろうか?と、大学院進学を断念した自分は思ってしまう。こういう自分みたいなのを、サワーグレープ(つまりイソップ童話の、高いところにあって採れないブドウを、あのブドウは酸っぱかったから取らなかったという狐のエピソード)と言うのだろうか?

自分は何処の国でも博士号を目指せば確実に挫折していただろう。一言で言って、博士号を持った研究者にはなれないし向かないのである。代わりにと言っては何だが、ベンチャー企業が向いていた。ベンチャー企業で技術者として研究に参加するという道があった。

話が脱線してしまったが、医学物理士になって医学物理学研究に参加する、という目標がまだ遠くにあるという事を言いたかったのである。

自信を失いつつある今日この頃

 来年の医学物理士認定試験を受験しないと、もう自分が医学物理士を目指すことは

なくなるかも知れない。残念だがそれも仕方ないかな、と思い始めている。結局

一報も論文を書かず、修士や博士にもならず、医学物理士も諦めてしまうのかな、

と何か寂しい気になる。

プライベートも全然充実しておらず、自分が将来的にジュニアを授かることはないのかな、とこれまた寂しい気になる。

今年もノーベル賞の季節が近づいてきた。日本の学問・基礎科学の研究はどういう方向に進んでいくのだろう?

文部科学省が全てを牛耳っているかのように見える国立大学の教育研究体制。何故誰も文部科学省を解体しようと言い出さないのだろう?それは命がけの行為になるかも知れない。だが、海外留学(特に学部)が不可能となっていく現状で、そういう声が大きくならなければ、もはや日本の学問は萎縮・後退し続けるだろう。

ダブルメジャー(専攻を2つ持つこと)や編入学制度、学部から大学院進学時の囲い込みの禁止を徹底しなければ先は相当暗い。チャレンジする若者が居ない、少ない社会の先もまた暗い。

日本という国に生まれたことを心底幸運だと思える世代は、自分たちくらいまでだろうか?いや、自分たちの世代も怪しい。

日本国内の農業の保護や食の安全の保証、教育の改革及び無償化(大学/大学院も)、取り敢えずここら辺が実現できるか否かが我が国の国運の分水嶺になる気がする。

何もいいことが起こらなくなった社会・世界

 現在自分は危機的状況にある。仕事・生活、公私ともに壊滅的である。

何が悪いのだろう?これこそ、権力や体制側が望んできた状況であろう。

日常生活でも世の中の動きを見ても全くと言っていいほど、希望を持てるような

事が起きなくなってしまった。

皆、ただ金を稼いで生活するだけである。

学校でもいじめは増加し、皆、自分がいじめのターゲットにならないように腐心するだけで精一杯だそうだ。30年前からその傾向はあった。きちんと被害者が声を上げないからこういう事になったのである。

日本人・人類の家畜化。第3次世界大戦の足音。その先に待っているのは世界政府の樹立と超監視社会・世界である。圧倒的多数の奴隷達とその上に立つ、極少数のグローバルエリート達による奴隷の支配である。

日本という国はもはや終わったのである。

自分の場合、もう20年以上も向精神薬を強制服用させられている。

はじめは何処もおかしくないのに向精神薬を服用させられていたが、そのうち敵は

集団ストーカーという、いじめを使って薬の服用を中断する自分を攻撃するようになった。職を奪われ、金を奪われ、健康な性欲や、正常な思考回路さえ奪われ、プライドは引き裂かれ最後は生命までも脅かされことが ,日常になった。

そう、いじめは大人になっても続くのである。

警察、精神科医は勿論、一般市民、家族や友人までもいじめに加担する。

米国や日本国内外の、日本を終わらせた勢力が、日本社会のいじめに目をつけて悪用し、我々は誰もそれに逆らえなかったのである。

絶望的な現状

起業の方はあっけなく潰れてしまった。元々、家族から理解が得られてなかったのだが、自分を潰そうとする巨大な圧力と家族の手によって再び精神病院に入院させらてしまい、現在も4週間に1度注射で向精神薬を体内に流し込まれている。

これで起業の線は潰れた。医学物理学研究も夢のまま終わってしまうかも。

絶望的な現状である。

20年以上前に留学した某国の情報機関に目をつけられ、これまで何度も生命の危険をくぐり抜けてきた。よく自殺しなかったと自分を褒めてあげたいくらいだ。

これからどうなるのだろう?まだ50歳。細々とやっていくしかないのだろう。

 

また今年も医学物理士認定試験に出願しなかった自分

 今年も医学物理士認定試験の受験日が近づいてきた。例によって今年も受験どころか出願すらしなかった自分。今年は昨年とは状況が若干違う。

今年は起業したので、しばらく受験勉強からは遠ざかっていた。

自分が生業とする分野は、医学物理学の一分野とも言えるが、少し主流の医学物理学とは違う。詳しい説明は省くが、自分が目指しているのが放射線医学である事は間違いない。

 地元でたくさんのビジネスパートナーに助けられながらの起業となった。成果が出るのは早くて再来年である。来年こそ、50歳の大台に乗ってしまうが、医学物理士認定試験を初受験しようと心に誓った。実際に合格するのは再来年の秋、現在から約2年後かも知れない。その時自分は51歳。自分の会社も軌道に乗っていればいいのだが......

医学物理学とその認定資格である医学物理士を目指すことは自分の人生の主軸かも知れない。

 つまらない文章で恐縮です。

 

いつのまにか.....

 自分の顔をパソコンのカメラで時々、遊び半分に撮っている。主に体重の推移と

顔の輪郭の相関性を見たいのだが、自分の人相の悪さというか、いろいろあったから

仕方ないとは言え、一言で言って自分は"怖い顔"の人間になってしまった。

まあ、その話は置いといて、起業の方は会社設立の手続きが一段落した。改めて、多くの方の尽力により、事がこれまでの所、順調に進んでいる。

医学物理学の一分野に於いて、また放射線医学の進歩に大きく貢献したいと意気込んでいる。

地元の、昔は何もなかったようなド田舎に新しく舗装された、広い道路を通って職場に向かう。職場となるオフィスは雑居ビルの中にある。そこを借りられるようになるまでも一苦労だったが、これからも暫くは苦労の連続だと思う。

自分が大切だと考えているのは、自ら選んだ道なのだから、その苦労をエンジョイしなければいけないという事だ。

誰に頼まれたのでもない、自ら選んで進んだ道なのだから...

人生半分過ぎて、ようやく本当の人生というか生活がスタートしたような気分だ。

思い上がらず、謙虚に、周囲への感謝と礼儀を忘れずに歩みたいと思う。

これから自分にとって素晴らしい時代が幕明けるか、何も始まらずに終わってしまうのか、自分次第である。

つまらない文章で失敬。

 

 

この国の未来と技術者である自分の関係

 昨夜、自宅のケーブルテレビで何と中国系のドラマを観た。異様に整った顔立ちの

中国人女優(多分)が出演していた。が、悪いが見かけがいくら綺麗でも日本人でない女性はどうも、苦手ではないが、正直何も心に響かない。とにかくかの国の厳しい競争社会ぶりが伝わってくるドラマだった。いい意味で、自分は刺激を受けた。

とにかく猛烈に頑張らなければ、かの国の人達に負けるのである。自分はこの十年は研究の現場から離れている。が、自分の興味のある分野の専門書や教科書を買い集めた。

後は実行に移すのみである。兄弟に言ったことがある事だが、技術者と言うのは、属している社会が喜ぶ技術や製品を開発したいと願っている。それなのに、あまりにも周囲から反対されたり妨害されたりすると、やる気を失ってしまう。何のために自分が頑張っているのか目標を見失うのである。

昨今の日本では、技術者達は相応の報酬や敬意を日本社会から受けているだろうか?

昔から、或いはもしかしたら他の国でも、時代を切り拓くような技術開発をする人間は、すぐに社会に受け入れられないのかも知れない。

負けたくないという闘争心こそが、人を猛烈な努力にかき立てるのかも知れない。

それならば、日本の技術者達は、そろそろこの過去数十年の敗北をかみしめ、再び立ち上がる時期にさしかかっているのかも知れない。