いつかこの世界のどこかで医学物理学研究を.....

医学物理学(生物物理学含む)に憧れて早20年超。何故か勉強が進まず苦悶する日々。いつか医学物理士の資格を取得して医学物理学研究に参加するという夢に辿り着くまでの日々を綴る。

漂流する中年おっさんの自分.....

 最近凹んでる。いいことがないばかりか、こちらからコンタクトする友人達からは疎まれ、恋愛関係もさっぱりいいことなし....世界は激動しているのに、自分の周囲はまるで時が極端にゆっくりと流れているかのよう。医学物理関係で起業したいのに、周囲からは理解が得られずケンカばかり。他人の悪いところばかり見えてしまい、これが50になるということなのかと、諦めモード。唯一の救いは、職場の人達が優しく、いい人達ばかりであることかな!?

 これで職が無くなったらもう目も当てられない。若いということは、何もまだ手に入れてないという事かも。ある時ふと気付いたけど、その、何もまだ手に入れていなかった自分、結構よかった、結構幸せだったかも、と。ハングリーで生き急いでいたかも知れないけど、結構幸せだったかもなあ、と。

 まだ現在ほど、自分自身も周囲つまり時代も洗練されておらず、荒削りだったのだろうけど、今だったら年齢的にも社会的にも許されないであろう、あり得ない失敗を結構した。時代は変わりつつある。

 自分は幸か不幸か成功したサラリーマンにはなれなかったし、職業で成功していない。でも、不明瞭な書き方で申し訳ないけど、自分の欲しいものをほぼ手中にした。

挫折、屈辱、そこから這い上がり、最低限の生活はなんとかキープした。きっと自分は長生きしないと思う。そんな安全で安定した人生を心の底では拒否しているから....

嘘をついてまで仲良くするくらいなら、誰とも群れない方がまし。

 50近いおっさんが酒も飲まずに愚痴ると、ロクでもない文章になる。

後生畏るべし、とでもいうか...

 アラフィフの自分もあと少しで大台に乗るところまで来てしまった。どんなに頑張ってみても、お腹の出たおっさんであるという現実からは逃れられない。一昨年のラグビーW杯や、最近はやりの日本人アーティストたち(主にミュージシャン)を見ても、日本人の若者達のそのポテンシャルの高さには目を見張るものがある。歌詞もお洒落で知的でしかもアーティスティックで、昔自分が10代の頃に聞いていた音楽とは一体何だったのかと思ってしまう。勿論時代を超えて生き続ける名曲というのは確実にある。

 一方自分の専門というか、科学者や学者はどうだろう?こっちは少し頼りない。が、きっと自分が知らないだけですごい若者が居るんだろう。科学者の業績が認められて世の中に出るのは、とにかく時間がかかる。

 優秀な科学者とはどんな人のことをいうのだろうか?有名大学や大学院を卒業した人達のことだろうか?有名大学の教官のことだろうか?この国はもはや優秀な科学者など必要としてないのではないか?優秀な科学者や技術者に何を期待するのか?この国のためになる研究や技術開発をして欲しいのか?その先にあるこの国の姿とは一体どんなものなのだろう?また経済的繁栄、バブルを懐かしんだり再び目指したりするのか?この国どころか世界中見渡しても、大学や大学院進学には異常に金がかかり時間を必要とする。そんな環境で、金が無ければいい大学に行けない環境の中で、誰のことを前出の優秀な科学者と呼べるのだろう?

 職場で出会う若者達は総じて性格がいい。しかし自分からは見えない、自分の知らないところでこの国でさえ貧困と教育の欠落に悩まされている人達が大勢居る。経済的弱者や才能とは無縁の大衆からの強烈な嫉妬や憎悪や妨害を乗り越えてなお輝き続けるのが本物の才能だろう。例え一時的に敗北したかのように見えても、傷を負っても、前へ前へと挑み続ける勇気だけが才能を開花させるのかも。怯みそうになる、自分へのかけ声になったかも!?

日本の教育はやっぱり良くない?

 自分には子供はいないが、親類の子供たちも、もう大学生になり始めている。その子たちを見て、日本の学校(小学校+中学校+高校そして大学)はそんなに酷い教育を行っているとは思えない。が、一番身近の子たち、つまり兄姉の子供たちを見て少し問題ありと思ったことがある。とにかく偏差値の高い大学を目指すことである。志が高くて大いに結構、しかし多くても1人2つまでくらいしか行かせてもらえない(つまり大学学部1校+大学院あるいは6年制の医学系学部だったらもう1校しか行かせてもらえないだろう)大学進学の選択にただただ偏差値や知名度で決めて欲しくなかった。

 20歳になる前くらいの若者の判断力や親の収入からそういう結論というか選択をすることになったのだろう。

 自分を振り返ってみると、日本の大学(学部3年次で中退)と海外の大学(学部(後に卒業))で学ばせてもらって本当に幸運だった。

そもそも海外の大学で学ぶまで、大学が「正義と真実を追究する場所」という事を知らなかった。いい学校→いい就職というレールが壊れ始めている。実は20年以上前からそうだったのだ。そんなレールに首尾良く乗っかったところで退屈な人生しか待っていないことくらい少し想像力を働かせれば分かりそうな物だが...

 猛烈に勉強し、質のいい大学教育を受ければ、後に精神的に豊かな人生が送れるから学ぶのである。つまり人生をエンジョイするために猛烈に学ぶのである。

 金儲けだけが、仕事だけが人生でない、そう言い切れるために学ぶのである。

海外に行って、大卒なのに英語も出来ないの?と言われないために学ぶのである。

国のトップがロクに学生時代勉強もしなかった、英語もしゃべれませんって、どうなんですか?

 

どんどん友人たちと疎遠=孤独になるアラフィフの自分

  最近、自分の周囲の人間に対するネガティブな感情に正直驚き、自己嫌悪に陥っている。自分が少年から大人になる時期、つまり高校卒業くらいの時、自ら望んで受験戦争に突入した。そこから大学に合格して抜け出したとき、自分では成長し勝利を勝ち取ったつもりだった。だが、赤ん坊の自分からみたその時の、他者に対する憎しみや怨念で満ちた、傷だらけの20になったばかり位の自分はどんな生き物だったのか?

 資本主義、競争社会、それは結構。競争に勝たなければ発言しても誰も耳を傾けてすらくれない... だが、あの時死ぬような思いをしてまで、受験競争に突入し、第一志望の大学に合格した自分は、人間としての優しさや品性をどこかに捨ててしまったのかもしれない。自分以外は全員敵、その位の気持ちで無ければ受験競争は勝てないのである。

 その後、もっと激しい競争を求めて編入学した大学では人々は大学を孤独で競争的な社会と評していた。

 何で読んだのか忘れてしまったが、人は自然や社会に挑戦すると孤独になるらしい。

確かにそれは真実だ。孤独になれなければ独創的にもなれない、と言う人も居る。

もう一度生まれてきたら、やはり日本に日本人として生まれてきたいと思う。だが、もう一度有名大学や研究を目指すかは大いに疑問だ。

 仕事や勉強を優先して人間として大切な何かを忘れてしまっては本末転倒だと思うようになった。

 現在の職場はあまり競争的な環境では無い。昔のブログにも書いたが、優しい上司や同僚に囲まれている。

 ところで現職は大企業だが、ベンチャー企業に勤める最大の利点は何だろう?自分は、子供みたいな答えで悪いが「仕事が楽しいこと」だと思う。楽しくなければベンチャーでは無い、と言うのが自分の信条である。話がまとまらなくなってきた。

もう日本の教育界に期待するのはやめよう...

 アラフィフの自分は結婚もしておらず、当然子供も居ない。だが、それは以前のブログにも書いたように、本人も周囲も納得する事情があった。自分に子供が居たら、行って欲しい大学、学んで欲しい学問が昔はあった。でも、現在はもし子供が居たとしても、自分の娘や息子に今更、研究者や技術者になれとか偉くなれとか、大学や大学院で長期にわたって勉学に励んで欲しい、などとこれっぽっちも思わなくなった。そんなことにどんな意味があるのだろう?これだけ腐敗した祖国で、一体、誰のために素晴らしい研究や新しい技術を開発しなければならないというのか?

 「いじめ」があっても皆知らん顔。都合のいいときだけ知り合いや家族の顔を使い分ける。

 大学は1つだけ取りあえず入学すべきだろう。だが、大学院に同級生も行くからと言う理由で高い学費を払ってもらったり借金をしたりして進学するのは愚の骨頂である。自分がやったみたいに海外の大学に日本の大学から編入学するのももう事実上不可能である。それにそこまでする意味が無い。

 そもそも戦後、日本にまともな大学教育など存在しなかったのである。劣悪な環境の中で、奇跡的に優秀な日本人研究者たちの自己犠牲によってここまで持ちこたえてきたのである。大学院教育など、形だけ有って真の研究者を養成する大学院教育など、日本国内には無きに等しいのである。

 学問は本当に学びたい人が自主的に書籍や情報を入手して続ければいいのである。

日本の大学に何かを期待すること自体間違っている。

 偏差値教育に基づくサラリーマン社会が崩壊しようとしている今、高い金を払って大学に入学する以前は塾や予備校に通い、同じく高い学費を払ってまで有名大学に進学することに日本人全体が疑問を持ち始めている。

 では、海外の有名大学ならいいのか?誰も本音は言わないが、自分の子供が学者になるのに1年間に何百万円もする学費を4-5年も払うほど愚かな親など何処に居るのだろう?結果的に馬鹿高い学費を払って大学を卒業した学生は学者や研究者など目指さず、金融街やもっと金が儲かる業界を目指す事になる。

インターネットの発達と、善意ある海外の有名大学の教官たちのおかげで、海外大学で行われる授業に用いられる教科書や参考書の情報まで開示され、我々の手元に海外の有名大学で使用されている教科書がお金さえ払えば届くようになった。

まさしくチャンスと危機が表裏一体となって訪れた感がある。

日本の大学は、早急に、大学みたいな学校から脱却し、自由で卒業までに真の実力をつけさせる教育体制の構築に取り組むべきである。

 

ネガティブな自分と世界への処方箋

 もう、うんざりと言いたくなる事が頻発する今日この頃。今日は米国大統領選で、本来ネアカで陽気だったはずのかの国の国民たちが内部分裂を起こしケンカしている様をテレビで見た。政治、暴力、戦争、核兵器、こういうのが消滅する世界を、自分は生きている間に見ることが出来るのだろうか?皆、心底ウンザリしているはずなのに、まだ共産主義だとか全体主義だとか、そんなイデオロギー固執している馬鹿者たちが億単位で存在しているのがこの世界の現実。馬鹿でもいいけど他国や他者に迷惑かけないでほしい、最低限。じぶんが昔挫折したラグビーを好んでみるのは、本物の男たちがそこに居るからである。力と力がぶつかり合うのはせめて、スポーツに限定して欲しい。

いいんですか、本気で私たちを怒らせても?日本人がニコニコして我慢してくれている間に、辞めておいた方がいいですよ、日本人に悪意を持つおバカな国の人たち......日本人を本気で怒らせてもいいんですか、本当に。

海外留学の絶望的に高額な費用の問題を解決しよう

 もうコロナ禍の前から海外の学費が、特に欧米の学校を中心に高騰し始めていた。

こうなれば、海外に長期留学出来ないと嘆くほか無いのだろうか?

取りあえず自分の興味のある海外の大学のHPにアクセスしてみる。

親切な大学ならば、講義で使用している教科書ばかりかシラバスまで公開している場合もある。後は某インターネット通販大手のサイトでそれらの教科書を購入するだけである。勿論その後、独学独習するのである。

 交換留学で日本の大学の学費で1年間向こうに行くのも一つの手である。1年間向こうで日本語以外の言語で講義を受講して試験を受け、成績評価で自分の実力を知るのと全く行かないのでは相当違う。

20年前に比べて学費は欧米で高騰したが、インターネットの発達で国内に居ながら海外の大学の様子が分かるようにもなった。

 生命科学系の学生は、国内にしろ国外にしろ、課程修了まで平均5-8年かかる博士課程に進学する際は相当緻密で念入りな将来設計と覚悟が必要である。博士号を取得出来なかった場合の可能性も充分あるのだから.......その際、生命科学系で就職があればいいが、数学や物理学や統計学も出来るようになっておくことも重要である。自分の専門の例えば、細胞生物学が専門だったら、それしか分からないというのはマズいし、或いは10年近く極めて専門性は高いが実用的でなく、社会的にいわゆる食えない分野の実験や研究を続けることのリスクをちゃんと見積もってから大学院で博士号を取得するという目標に邁進すべきである。