自分には子供はいないが、親類の子供たちも、もう大学生になり始めている。その子たちを見て、日本の学校(小学校+中学校+高校そして大学)はそんなに酷い教育を行っているとは思えない。が、一番身近の子たち、つまり兄姉の子供たちを見て少し問題ありと思ったことがある。とにかく偏差値の高い大学を目指すことである。志が高くて大いに結構、しかし多くても1人2つまでくらいしか行かせてもらえない(つまり大学学部1校+大学院あるいは6年制の医学系学部だったらもう1校しか行かせてもらえないだろう)大学進学の選択にただただ偏差値や知名度で決めて欲しくなかった。
20歳になる前くらいの若者の判断力や親の収入からそういう結論というか選択をすることになったのだろう。
自分を振り返ってみると、日本の大学(学部3年次で中退)と海外の大学(学部(後に卒業))で学ばせてもらって本当に幸運だった。
そもそも海外の大学で学ぶまで、大学が「正義と真実を追究する場所」という事を知らなかった。いい学校→いい就職というレールが壊れ始めている。実は20年以上前からそうだったのだ。そんなレールに首尾良く乗っかったところで退屈な人生しか待っていないことくらい少し想像力を働かせれば分かりそうな物だが...
猛烈に勉強し、質のいい大学教育を受ければ、後に精神的に豊かな人生が送れるから学ぶのである。つまり人生をエンジョイするために猛烈に学ぶのである。
金儲けだけが、仕事だけが人生でない、そう言い切れるために学ぶのである。
海外に行って、大卒なのに英語も出来ないの?と言われないために学ぶのである。
国のトップがロクに学生時代勉強もしなかった、英語もしゃべれませんって、どうなんですか?