いつかこの世界のどこかで医学物理学研究を.....

医学物理学(生物物理学含む)に憧れて早20年超。何故か勉強が進まず苦悶する日々。いつか医学物理士の資格を取得して医学物理学研究に参加するという夢に辿り着くまでの日々を綴る。

そう言えば、

本気で大学院の修士課程に出願しようとしていた時、その海外の医学物理学の大学院のHPの募集要項らしきところに、学部時代に身に着けてほしい知識、つまり履修しておいてほしい科目が書かれていた。2年間の数学、中程度(学部2,3年レベル?)の物理学、生化学、物理化学、病理学、コンピューターのプログラミング…このような科目群を自由に履修するには、やはり日本の大学では難しい。海外だと、生物学か物理学専攻で、上記のような科目群を履修できる。

日本には、海外と比して(どこの国?)数学や物理学の能力が高い学生が多い、という印象を受ける。逆に、海外には生物学や生命科学関係の学問に秀でている学生がわんさかいて、ノーベル賞医学生理学賞ががほぼ欧米の研究者に与えられているのも頷ける。

前出のO教授から留学前に、基礎(研究)は某国の方がいい、応用(研究)は日本の方がいい、という貴重なアドバイスを賜った。もっと言えば、欧米はコースワーク(特に講義)とその成績評価をとても重要視する。一生学部時代のコースワークの成績がその人について回るといっても過言ではない。これに関しては賛否両論だが、結論として何もかも欧米式に日本人が日本の学生を教育するのは間違いであろうという事だ。

日本人の学部学生が、学部3年次後期から研究室に入ることは、早くから優秀な研究者を育てるという意味に於いては、欧米に比べて圧倒的に有利な環境かもしれない。これは日本の大学の教育制度の優秀な側面である。

ではどうして、最近ではアジアの他の国にまで追い抜かれてしまうようになったのであろう?まず言えるのは、自分の目の前にある研究テーマを何故研究するのか、何故この研究室でこのテーマなのか、という問いかけが皆無であるのが日本の学生の特徴だ。

先生や先輩に言われたから、それが通用するのは学部までだろう。学部と大学院で同じ研究室に進学してしまうと、何も考えずに上から与えられたテーマを数年、博士まで行く人は5・6年あるいはそれ以上やり続けることになる。何が重要な研究テーマなのか、自分がどういう領域・分野の研究をしたいのか、という極めて重要な問題が、なあなあで誤魔化され、管理する側の都合のいいように流されてしまう。研究者自身、学生自身の哲学の問題である。

某国では学部から大学院へ進学する学生はほぼ他校に進学するのが慣例である。学部卒業に時間がかかるのも、例えば生物学を主専攻とする学生が、回り道をして数学や化学の単位を履修するからである。いわゆる、ダブルメジャーやマイナー(副専攻)であり、それが推奨されているのである。

取り敢えず、日本の大学で学部を4年でさっさと卒業できるなら卒業して、一度社会人になって、それでもどうしても大学院に行きたいなら、30歳からでも海外の修士課程にチャレンジしてみてはいかがだろうか?その方が研究者・技術者としての視野が広がり専門知識も厚みを増すイメージがあるが、違うだろうか?

同級生が皆行くから、といった付和雷同的な大学院進学は時間と金とエネルギーの無駄である。